精神病院40年入院、69歳男が過ごした超常生活
3300万円賠償求め国を提訴、際立つ日本の現実
風間 直樹 : 東洋経済 調査報道部長 2020/10/09 5:40
統合失調症で1973~2011年まで入院
「福島県内の精神科病院に約40年入院して、その間、退院できると思われるのになぜかできない人や、諦めて退院意欲を失った人をたくさん見てきました。そういう人たちをなくすために、裁判を決意しました」
精神科病院への長期入院を余儀なくされ、憲法が定める幸福追求権や居住、職業選択の自由を侵害されたとして、群馬県在住の伊藤時男さん(69歳)は9月30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。精神科病院の長期入院について、国の責任を問う訴訟は初めてとみられる。
「退院までの努力は、並大抵のものではありませんでした。退院できず人生の大半を失った自分のような人間が、これ以上生み出されてはならない」。提訴後の会見で、伊藤さんはそう力を込めた。
訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の精神科病院に入院。2011年の東日本大震災で、県外の病院に転院するまで一度も退院することなく、入院継続を余儀なくされていた。
伊藤さんは高校中退後、親戚のレストランで働いていた16歳のときに発症した。最初は都内の病院に入院したが、父親の意向でこの福島の病院へと転院した。転院当初は、「模範的な患者として過ごせば、早期で退院できる」と信じていたという。
そこで、病院近くの養鶏場で鶏糞の処理作業をしたり部品工場で働いたりなど、院外作業に積極的に参加した。また入院患者への配膳手伝いや厨房での給食準備など院内作業でも活躍していた。こうした作業を通じて症状も改善していった。ところが、10年経っても20年経っても、病院側からは肝心の退院に関する話は一向に出なかった。
「自分より後から入院した人が次々と退院しているのをみると、働ける人のほうが退院できないようで矛盾していると感じていた。でも何もしないのは嫌だったので、結局は働き続けた」(伊藤さん)
この病院はなんだかおかしいとわかったときには、長い年月が過ぎ、齢を重ねていた。「車の免許もないし、社会に出て生活できる自信もない。もうここに一生いるしかないと思うようになるなど、『施設症』に陥っていた」と伊藤さんは当時をそう振り返る。
子どものいる家庭が夢だったけど
転機となったのは東日本大震災だった。病院が被災したため茨城県の病院に転院し、翌2012年には退院することができた。転院先の主治医から勧められたグループホームでの生活を経て、今は群馬県内で1人暮らしをしている。
1人でも普通に家事をこなすなど日常生活に支障はなく、精神疾患の患者を支援するピアサポーターとしても活動する。絵を描くことが好きで、2年前には地元で個展も開いた。いまは「自由な日々をのびのびと過ごし、60歳からの青春を楽しんでいる途中です」と話す。
だが、長期入院の結果、婚期は逃した。「もっと早く退院できていたら、彼女もできたし、結婚もできた。この年だとなかなか結婚までは難しい。子どものいる家庭を作ることが夢だったけど……」(伊藤さん)。
伊藤さんによれば、入院していた福島県の精神科病院には30年以上の長期入院の患者が10人以上はいたという。
厚生労働省によれば、日本の精神病床の平均在院日数は285日(2014年時点)。500日近かったかつてに比べれば短縮傾向にはある。だが、ドイツは24.2日、イタリアは13.9日など、定義が異なるとはいえ、数十日程度がほとんどの諸外国と比較すると、非常に長い。
1950年代には向精神薬であるクロルプロマジンが開発され、統合失調症は薬物による治療が可能となった。これを契機に、欧米諸国では人権尊重の観点から入院治療から在宅での地域医療へと大きく舵を切った。
ところが日本では同時期、精神科病床数を大幅に増加させる政策を次々と打ち出した。1つは、入院患者数に対する職員配置が、精神科病院は他の診療科と比較し医師は3分の1、看護師は3分の2で足りるとする「精神科特例」(1958年)だ。人件費削減効果は明らかであり、医療の提供よりも長期療養を重視した人員配置といえるだろう。
もう1つが資金面での優遇だ。従来の公立の精神科病院への国庫補助に加え、民間の精神科病院の新設および運営経費についても国庫補助を行うようになった。医療金融公庫が設立され、低利長期の融資によって精神科病院の設置を容易にする政策誘導がなされた。
その結果、精神科病床数は急増し、1970年時点ですでに25万床に達している。
国際機関からの指摘相次ぐ
世界的にみて異例な日本の状況を、国際機関も問題視。WHO(世界保健機関)顧問のデビッド・クラーク博士が1968年に日本政府に行った勧告(クラーク勧告)では、精神科病院には非常に多数の統合失調症の患者が入院患者としてたまっており、長期収容による無欲状態に陥り、国家の経済的負担を増大させているとして、精神医療の転換の必要性を訴えた。
また1985年には国連調査団による調査がなされ、そこでも入院手続きと在院中の患者に対する法的保護の欠如、長期にわたる院内治療が大部分を占め、地域医療が欠如しているという懸念が示され、日本の精神医療制度の現状は精神障害者の人権および治療という点において、極めて不十分とみなさなければならないと勧告されている。
こうした点から、原告側は国がこうした人権侵害行為を故意または過失によって放置した不作為は、国家賠償法1条1項の違法なものであると主張している。
「私は35年間、精神医療福祉の世界で働きましたが、当事者や家族などあまりにも多くの人が苦しんでいます。日本の精神医療は、人間の顔をしていない。裁判を通じて国民にわが国の精神医療の実態を知ってほしい」
伊藤さんもメンバーである精神医療国家賠償請求訴訟研究会の東谷幸政代表は、今回の提訴の狙いをそう語る。研究会は新たな原告の候補や情報提供を求めている。
問い合わせ窓口:03-6260-9827
https://toyokeizai.net/articles/-/379923